今の社会のあり方と将来に、不安を感じていませんか?
お金で全てが計られる世界、食糧安全保障、行き過ぎたグローバリズムと壊れはじめたこれまでのグローバリズム、漂う戦争のきな臭い匂い。これらは一つにつながっています。いずれ、私たちの暮らしを脅かすことになるかもしれません。子どもたちにどんな未来を残せるのでしょうか。だからこそ、どんな時代が来ても、大切なものたちを守れるよう、私たちはよく学び備えなければならなりません。
かつての日本は、ほとんどの人々は農村に住まい、自給的な暮らしをしていました。農村には人々が生きていくための全てがありました。日本人の暮らしが、縄文の時代からどんな時代をも乗り越えることができたのは、農村の持続可能な暮らしの営みが、国の礎となっていたからであると考えています。
しかしながら、日本中の農村集落は今、人口減少による消滅の危機を迎えています。押井の里では、日本中の山村集落を消滅の危機から救い、新しい持続可能な農村モデルづくりに挑戦しています。都市と農村の人々とがつながりあい、ともに豊かに幸せになるための、これからの新しい共同体づくりを目指します。そのために、押井町の1000年以上の歴史をもつ二井寺普賢院を甦らせ、交流拠点として再生します。
講師に、持続可能な暮らしやフィールドづくりを提案しているPermaculture Design Lab.(パーマカルチャーデザインラボ)の庄司正昭さんをお迎えし、集う仲間達と学びながら未来を創造していけるような場づくりをする5回の実践講座を開催します。
ぜひ、一緒にこれからの日本を創造する仲間に出逢いにきませんか?
山村集落を消滅の危機から救いたい
押井の里では、日本中の山村集落を、消滅の危機から救うためのモデルを創る。私たちは今、この難題に果敢にチャレンジしています。
「押井の里」は、愛知県豊田市の山村部、どこにでもある僅か25世帯の集落です。人口は、1950年代には200人を超えていましたが、2022年4月現在では、78人まで減少。さらに20年後には、50人を割ると推計されています。全国の山村集落がそうであるように、押井の里も、人口減少・高齢化の波にのまれて消滅に向かおうとしているのです。
標高300mから500m、森林と谷間のわずかな農地だけの典型的な山村集落。ここには、縄文土器が出土する宮之前遺跡、浅之久保遺跡、鬼ヶ子遺跡があります。つまり、およそ3000年前から人の営みがこの地で連綿と続けられてきたということです。
森林と、谷間のわずかな農地しか存在しないこの地で、集落の営みが数千年も続いてきたのはなぜなのか。そして、それがこのわずか50年ほどで、消滅の危機に晒されることになってしまったのはなぜなのか。私たちは考えに考えました。
持続可能な農村モデルとは?
持続可能な農村とは何か? それは「かつての里」でした。
かつての里 は いわゆる里地里山環境がありました。人は自然の一部でした。人の営みと自然が調和していました。かつての農村の営みは持続可能なものでした。里地里山には人々が生きていくために必要な全てがありました。
また、かつての里には横のつながりがありました。人々は共同体の中で支え合いながら生きていました。生き物とも共生していました。生きとし生けるもの全てがつながっていました。
そして、かつての里には縦のつながりもありました。里は、先人の強い想いと苦労の上に守り続けられてきました。そして我々にはこれを後世に残していく責任があります。このような世代を越えたつながりがありました。
これら、里の環境とつながりを現代の新しい形で取り戻していくことが、持続可能な農村モデルになるのであろうと考えています。
都市住民と一緒にふるさとを守る「関係自治」と「オープンコモン」
持続可能な農村には、共同体が不可欠でした。しかし、農村の人口が減ると、地域の自治がうまくいかなくなりました。耕作放棄地が増えたり、人工林の手入れがおろそかになり災害の原因になることもあります。
そこで、一つの解決策として、都市の人々の力を借りることが考えられました。これまで農村の住民だけで行っていた「住民自治」から、都市住民と農村住民が一緒に協力して地域を守る「関係自治」への転換が必要です。
ただ、都市の人たちにも長続きする理由が必要ですね。農村住民と都市住民が恵みや喜びや課題を共に分かち合い、力を合わせることで、「関係自治」が成り立つのです。このコンセプトに基づいて、押井の里では「自給家族」という取り組みが生まれました。
そして、さらに広げて、地域を開放していく「オープンコモン」という取り組みをはじめました。これは、地域の共有財と呼ばれる橋や道、山や田んぼを含めて、地域に関わる全ての人々のものにしていこうというものです。まず実践の場として、二井寺普賢院と周りの里山を、オープンコモンの交流の拠点として整備していくことになりました。つまり、二井寺普賢院は押井の人だけでなく、押井の里に関わる全ての人々にとって特別な場所になることを目指しています。
「自分たちのふるさとの居場所をつくる!」と思って参加してもらえると嬉しいです。
POINT1 江戸時代の自然の摂理を生かした学びの場!
学びの場である二井寺普賢院は、江戸時代中頃までは、二井寺と呼ばれていた天台宗の古剣で、寺伝によれば白鳳時代(7世後期から8世紀初期)の創建と伝えられています。かつては全山に諸堂が建ち並ぶ典型的な天台密教、山岳仏教の大寺院でした。隆盛期には、100名以上の修行僧がいる仏教繁栄の一大道場であったと言われています。戦国時代・武田氏の三河攻めで焼かれ廃寺となりましたが、寛永年間、足助則定の旗本・鈴木正三和尚により再興されました。
現在は、無人寺となっていますが、令和2年より都市住民との交流拠点として整備すべく地元で借用しています。由緒あるお寺ですが、住職は十数年前に亡くなり、檀家のない天台宗のこのお寺を高齢のお庫裡さんが一人で管理するには大き過ぎました。
かつては見物客もあったほどのみごとな庭園や池いつしか荒れ果てヘドロで埋まってしまいました。しかしながら、建築物や庭園などの配置や工法などは、江戸中期の昔ながらの自然の摂理を活かした工法が用いられていると考えられます。大地の再生を学ぶにためには最高の場所です。
POINT2 持続可能な農村モデルづくりに最高の講師!
持続可能な農村モデルにふさわしい交流拠点をつくるためには、ふさわしい講師から学ぶ必要がある!そして、同じ志をもつふさわしい仲間と学んでいきたい!
講師に持続可能な暮らしやフィールドづくりを提案しているPermaculture Design Lab.(パーマカルチャーデザインラボ)の庄司正昭さんをお願いしました。庄司さんは、「パーマカルチャー」と「大地の再生」の両方の指導資格をもつ数少ないエキスパートである庭師です。
「パーマカルチャー」とは、人と自然が共に豊かになるような関係を築いていくことを体系化したデザイン手法です。思想的なことから具体的な手法まで幅広く、参加者とともに共創的に取り組んでいきます。
また、「大地の再生」とは、大地の血管である水や空気の流れなどに注目し改善することで環境を再生する手法です。例えば、大地の水や空気の流れが、ダムや道路などコンクリート構造物に塞がれてしまうと、そこに流れていた水や空気が分断されてしまう。分断されれば、洪水などの被害が発生する原因になります。
最高の講師と、最高の仲間たちがあつまれば、素晴らしい拠点になるに違いありません!
講座の詳細
日程 | 6/9(日)、7/15(祝月)、8/11(日)、11/10(日)、11/23(土)の年5回 ※ 11/23(土)は、普賢院もみじまつり同時開催 |
時間 | 9:30 集合 10:00 開始 12:00〜13:30 昼食(自己紹介&近況報告) 16:00 解散 |
場所 | 天台宗二井寺普賢院(豊田市押井町寺ノ入22) |
講師 | 庄司 正昭 氏 Permaculture Design Lab.共同代表 パーマカルチャーデザイナー、ネイチャーインタープリター 1970年 宮城県生まれ。岐阜県在住。 日本が誇る里山の素晴らしさと大切さを知り、昔ながらの日本文化(暮らし方)を守り繋ぐことが必要と感じる。活動を続ける中で、未来につながる暮らし方のデザインとして、パーマカルチャーに出会う。 現在、築100年の古民家を借りて、畑、田んぼ、コミュニティ作りなど、暮らしを楽しみながら、「もりにわくらし」の屋号で、庭師、大地の再生(通気水脈改善)の他、子どもキャンプ、パーマカルチャーキャンプなど自然や暮らしを伝える活動も行っている。 |
参加費 | 各日お一人3,000円(税込) (昼食込み・ミネアサヒ五目ごはんと汁ものなど軽食) |