2023.05.11
明治から令和まで、貴重な写真から「山間部のふつうの暮らし」をご紹介します。
大正時代?
「門屋よりもさらに古い家。明治時代に火事になって一度焼けてしまった」
「“うちが出した家事で焼けて申し訳なかった”と家(小屋)を建ててもらってと聞いたことがある」
昭和29年4月:火災前の門屋と段々畑
昭和30年:火災前の門屋
「左の枝垂桜は今もある。すごく大きくなってる」
昭和30年代後半?
昭和37年:道路整備前の道
「中央にあるのがおいえの小屋」
「門屋の左、鳥居の奥にあるのが火事のときに建ててもらった家」
昭和37年
昭和40年?:門屋前の道
昭和40年?:門屋前の道
「門屋前の道の様子がわかるね」
年代不明
「門屋の前の防火用水で訓練をしているところ」
「植林をしていないから山が低い」
昭和40年?:後藤家全景
「圃場整備前の門屋。屋根が茅葺き」
昭和40〜50年代?
「このときもまだ茅葺き」
昭和40〜50年代:家の前の段々畑
「圃場整備前の田んぼがある」
「道路は未舗装。防火水槽もある」
「上の家が元屋敷」
昭和40〜50年代?:家の近景
昭和50年代
「中央左にあるのがおいえ」
昭和50年代
「茅葺からトタン屋根に変わった。今はグレーだけど、このときは赤いね」
昭和50年代
「トタン屋根の色、結構な頻度で色を塗り替えてる」
「田んぼの道路がまだ未舗装」
昭和40年代頃:結婚式
「この頃は家で結婚式してた」
昭和40年代?:仏壇に挨拶
「来たらまず仏壇に挨拶した」
昭和40年代?:お嫁入り
「チヨちゃんのお嫁入りだね」
昭和30年代後半
「こういうお葬式はついこないだまであった」
「やすらぎホールができるまではお祭りみたいだった」
「花籠があって、お金をばらまく。五色旗も」
「和尚さんが8人もいる」
昭和30年代後半?
昭和30年代後半?
「これは何だろう。棺桶にしては軽そう」
「昔の棺桶は丸い立て棺だった。これは飾りだと思う」
昭和40〜50年代?
「お葬式では、生花ではなく花輪を飾ってた」
昭和40〜50年代?
昭和40〜50年代?
「墓場までの行列」
「これは押井じゃなくて加塩だね」
昭和40〜50年代?
「門屋の親戚がいる」
「これも加塩」
昭和30年代前半:田植え
「結があった」
「畑に小屋があった。道の場所が今と違うね」
「鳥居のところから上に上がっていった」
昭和30年代前半:牛小屋
「農作業で使う牛。この牛で木を出したりもする」
「牛のいない家はなかった」
昭和33年:車屋
「5〜6軒に1つずつ水車があって、そこで米をついていた」
年代不明:車屋(遠景)
昭和36年?:田植え
「結は近所や親戚5〜7軒でグループをつくっていた。昔から同じ家。人が少なくなってから結はなくなった」
昭和36年?:田植え(休憩中)
「田植えは、朝、日が出る頃から。8時には始まってた」
「10時ぐらいにお昼を食べた」
「お昼に人気のドラマがやっていたときは、お昼のスタートが13時半からだった(笑)」
昭和36年?:田植え
昭和37年12月:紙のマルチ?
「田んぼでは苗代をつくった」
「この桜、こんなに小さかったんだね」
昭和50年代頃:後藤家前の田
「今は草ボウボウになってるところ」
年代不明:越田和の田植え
年代不明:越田和①
「圃場整備前の田んぼだね」
年代不明:越田和②
明治44年:卒業生
「この頃は敷島尋常高等小学校」
大正7年:小学校の校庭拡張工事
昭和20年代:敷島小学校と旭中学校舎
「山にお薬師さんが見える。これは今もある」
「後から中央の山の麓に体育館ができた」
昭和22年4月:校舎前で集合写真
「見覚えがないが、古い敷島小学校だろうと思う」
昭和20年代?
「上にお宮の舞台が見える」
「右手に少し見えるのは給食の調理室」
昭和20年代?:学芸会(演目は由比ヶ浜)
昭和20年代?:少年消防隊
「これは新しい校舎の前」
「少年消防団は、手ポンプを動かしたりした」
昭和30年:小学校の修学旅行
「すごい数だなぁ!」
昭和30年代前半:小学校の学芸会
「右下にノリくんがいる」
昭和30年代前半:小学校の学芸会
「現代風だね」
昭和37年9月30日:運動会の入場行進
「トラック一周が100mないぐらい」
「当時は大きな校庭だと思ってた」
昭和37年9月30日:玉入れ
昭和20年代:旭中学入学式
「一学年がこんな数なのは今では考えられない」
「2クラス満タンだった」
昭和31年3月:旭中学卒業式
昭和30年代後半?:旭中学運動会
昭和30年代後半?:運動会での仮装
昭和30年代後半?:運動会での仮装
昭和30年代後半?:旭中学集合写真
「小学校がないかと思ったら、後ろにある。少し見えてる中央の線が小学校の屋根」
「上にあるのが神社の舞台」
昭和40年代?:男子生徒の集合写真
「1クラスがこのくらい。疎開してきた人もいた」
「同級生が160人ぐらい」
「この写真、男子だけなのはなんでだろう?」
明治43年:敬老会
昭和35年3月15日:ヤゲでの敬老会後の婦人会
「下の右はキミちゃん」
「敬老会は婦人会が主催して、ごちそうをつくって年の多い人をおもてなしした」
昭和40年3月14日:辻での敬老会
「婦人会の役員が上っ張りを着て写ってるね」
「ごちそうをつくって食べさせた。余興で踊りをやったときもある」
「最後にむしろを敷いて記念撮影をした。いつもむしろを敷いたね」
昭和40年代:裏方のご婦人方
「敬老会の裏側。みんな割烹着を着てる」
昭和42年:敬老会
「婦人会の会長さんの家で敬老会をやった」
昭和56年:敬老会
「ここまでくると、会場が押井公会堂の2階の舞台になってる」
「今と同じ建物だね」
昭和30年代頃:農村舞台
「棒の手の練習だね」
昭和30年代:農村舞台上で宴会
「終わると宴会だった(笑)」
昭和30年代:八幡神社
昭和37年:演技
「人数が多かったから、演技をする向きが今と違うの」
昭和30年代後半:集合写真と人物配置
「これはいいね、名前つき」
「うちの親父もいる」
昭和30年代後半:整列
昭和30年代後半:演技
「こっちむいてるのはカズオさん」
昭和40年代頃:祭礼の打ち上げ?
「これは昔の会所」
「会所は狭かった〜」
「踊ってるのがシズオさん?」
昭和40年代頃:神明神社祭礼①
「テツオさんがホラを吹いてる」
昭和40年代頃:神明神社祭礼②
年代不明:神明社舞台での棒の手
年代不明:棒の手
「これは新しい。まだみんな生きてる(笑)」
※令和5年4月現在
年代不明:演技
大正7年:鳥居石曳
「あなざわの前から石を切り出して、鳥居を立てるために運んだ」
「上の家がかきの昔の家じゃないか。かきの蔵がなくて小屋だった」
「すごい人が出てるな。大八車もある」
「朝からやっても1mも動かなかったとうちのおじいが言っていた」
大正13年4月:家族写真
「扇子の左の人(中央左から3人目)が安藤徳次郎。私の4代前で、今私が住んでいる家をつくったのがこの人」
大正13年:押井自警団①
「これはおそらく押井の神社の舞台」
大正13年:押井自警団②
大正時代?:乳母車
「乳母車、懐かしいなぁ」
昭和19年:太田の木出し
「そりに載せて牛で引っ張った。そりに載せるまでが大変なんだ」
昭和20年代?:半鐘を手動式サイレンに付け替え
昭和20年代?:二井寺旧道が未舗装の頃
昭和20年代?:山中さんの種牛
「牛が碁盤の上に乗ってる」
「曲芸をする牛。仕込んだみたい」
昭和29年10月9日:消防団30周年記念
「押井のお宮。お宮での集合写真が多い」
昭和30年代頃:消防団
昭和30年代:鈴木家
「我が家」
昭和30年代?:一家の写真
「中央の小さい子がヨシノリさん、ススムくん、3人兄弟」
「真ん中のおばあさんは足を悪くしていた」
昭和30年代頃:神明神社
昭和30年代前半:子どもの集合写真
「しんやの方だね」
昭和30年代前半:七夕
「右はアキヒサくんだね」
昭和30年代前半緬羊
昭和30年代前半:インコ
昭和30年代前半:インコの墓
昭和34年頃?:舞台屋根①
「伊勢湾台風で壊れたんだ」
「探したけど舞台が建っている写真がない。つぶれた写真しかない」
昭和34年頃?:舞台屋根②
昭和37年:テレビ
「こういうテレビがあった」
昭和37年:台所
「水道がきてるけど、まだカマドがある」
昭和37年?縄を切る作業
「門屋のお母さん。ノブさん」
昭和37年?:タイルがオシャレなお風呂
昭和30年代後半:鳥居の周辺
「県道が未舗装だね」
「元屋敷がある。ここには人は住んでなかった」
昭和30年代後半:消防ポンプ
「消防隊の指揮者と4番員まで」
「左から2人目がトンちゃん。中央はヤスノリさん。一番右はツンちゃん」
昭和39年:門屋の前の田んぼ風景
昭和41年:編み機
「これはチヨちゃんだ」
「40年代に編み機が流行って、どこの家にもあった。嫁入り道具で持ってたよね」
「ブラザーの戦略で嫁入りに必須だった」
「でも、何か編んでもらった覚えがない」
「私も持ってたけど、何を編んだか覚えてない」
「俺は編んでもらったベストを着てたよ」
昭和57年4月:押井壮年クラブ
「スキちゃん、サブロウさんもおいでる。ノボルさんが若い!」
「ショウヘイさんもご健在だね」
昭和58年:消防団研修旅行
「右端がぼく」
「こんな時代が(笑)」
昭和60年代頃?:イフモリの田んぼ
「ひかげのほら。車がいっぱい停まってる」
昭和60年代頃?:茅葺き屋根の取り壊し
「茅葺きを壊しているところ。だから前の写真で車がたくさん停まっていた」
「ここのおじいさんが茅葺き職人だった」
年代不明:不明風之神の桜
「風之神さんの桜」
「この木の下に子どのも木が生えてきてて、もう結構でかくなってる」
年代不明:後藤和芳邸
「おげた。茅葺きだね」
「べんじさんたちが見える」
年代不明:ヤマナカの門先?
「これは、トッくんがくれた写真」
「辰吉さんの家の裏。山には木が生えていなくて、芝を刈っていた。それを肥料にしてた」
「今は木だらけでモサモサになってる」
年代不明:しんやが茅葺きの頃
年代不明:石灯篭石段上
「わりと新しい写真だね」
年代不明:神明神社が茅葺きの頃(『旭町誌』より)
年代不明:普賢院の山門が茅葺きの頃(『旭町誌』より)
年代不明:後藤鋤雄氏主屋(にわからしたてを望む) 茅葺屋根の頃(『旭町誌』より)
年代不明:区長だんす運搬風景等(『旭町誌』より)
「これ、そこにあるやつ(公会堂にあるたんすを指して)」
「区長が変わると、担いでたんすを運んだ」
昭和30年代:普賢院
「圃場整備前だ」
「よくこんなキレイに管理してたもんだ」
「イノシシがおらんかったから」
「ここに、本当は普賢院という名前ではなかったということが書いてあるらしい」
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