「押井村誌」(現代語訳)が物語る、いにしえの暮らし~ミライを拓くヒントは、歴史の中にある〜

「押井村誌」全編
(全84P, 1.5MB)

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「押井村誌」への思い

科学的な推計によれば、押井の里は70年後に消滅するといいます。すべての価値をお金で測る社会になったからです。しかし、押井の里の衆は、誰一人「時代だから仕方ない」とは言いません。断じてノーです。縄文時代から3000年も続いてきた歴史に、里の暮らしが続いていくヒントがあるはずです。

里に伝わる古文書や言い伝えの中に、そのヒントはありました。それは、自然と共にある八百万の神への畏敬、自然の一部としての人の暮らし、自給自足の営みにこそ里山の持続的な暮らしが続くメカニズムがあるということです。

自給家族」は、損得に関わらず、安全で美味しいお米の安定確保を、その基盤である農地、人、集落と共に守っていく、暮らしを自治するコミュニティといえます。この理念の源泉は「押井村誌」の中にあり、家族が共有すべき財産と考えました。

普賢院(昭和30年代)

普賢院(昭和30年代)

「押井村誌」は、明治14年に起草されてより今日まで、歴代区長(現在は町内会長)が持ち回る区長箪笥(たんす)に収納され、大切に次代に引き継がれてきましたが、虫に食われ、やがて朽ちていくことも予想されることからデジタル保存することになりました。

「押井村誌」は、反別・年貢・歴代庄屋などの記録に多くが割かれています。食とその基盤となる農地の利用調整と年貢上納を司る地域リーダー「庄屋」が、共同体の要にあったことが想起され、今日の営農組合に期待される役割に重なります。

神社仏閣、とりわけ普賢院に関する記述が、丁寧に記録されていることからも、守り継ぐべきふる里の財産であることの決意が読み取れ、どう次代に繋いでいくのか、今を生きる私たちに問われているように感じました。

100年後、押井の里には誰が暮らしているのでしょうか。誰が暮らしていたとしても、「押井村誌」は、人々にふる里をつないでいくヒントを与え続けてくれるものと思います。

2022.4.1 鈴木 辰吉

「押井村誌」の構成

※数字は鉛筆書きの通し番号。リンクからPDFの各ページへ遷移します。

村の概要

村の歴史

反別と年貢

村のリーダー

寺社

言い伝え

その他

翻訳者解説

押井村は、明治11(1878)年から、明治22(1889)年までの11年間、制度が移行するはざまに存在した村です。

この草案は明治14(1881)年、江戸時代の暮らしが残る山間の村に明治の新制度が押し寄せてきた時期に編纂されました。区画変更の経緯(11・12)や歴代庄屋(27・28)の明治以降の記述からも、地方制度が二転三転していた当時の様子が伺えます。村誌が起草された経緯は説明がないので不明です。当時押井村には草案のみが残され、実物は県か郡に提出したと思われますが、愛知県公文書館の所蔵資料検索ではヒットしませんでした(2022年11月時点)。

草案の内容は、村の概要から戸数、反別、年貢、農業、寺社、学校への支出金、言い伝え、暮らしまで幅広く、反別・年貢・寄付金などの記録に多くが割かれています。編纂にあたり改めて調査をした形跡がみられますが、帳簿や記録など、この時点で紛失していたものも多いようです。寺社では、言い伝えの域を出ないものの普賢院に関する記述が手厚く、村民の関心が高かったことが伺えます。また、少ないながら農間仕事や病気・災害など実際の暮らしぶりに触れた箇所もあり、当時の村でのリアルな生活を知る手がかりとなります。

村の発生が不明なのは、全国的にも史料が限られ謎が多いためいたし方ないところですが、どんな人々がどういった経緯で村を形成していったかは大変気になるところです。また、入会地や水路などの管理、講、祭り、寄り合い、身分構成(本家・分家等)、自作・小作などについても触れられていないため、人々がどのような人間関係を築いて村を治め、生活を送っていたかは今のところ想像する他ありません。

町内会等で保管されている古文書は、戦争や災害による焼失・紛失の他、片付けや引越しの際に「よくわからない古いもの」として処分されがちです。しかし、これらの中には現在にいたる地域の歴史が息づき、さまざまなことを伝えてくれます。古文書は一度失われると、泣いても悔やんでも二度と戻ってきません。それらを大切に保管し、受け継いできた押井村、そして押井町の皆様方に心から敬意を表します。それとともに、他の地域でも史料の発掘・研究が進み、村の自治の様子がより明らかになることを願っています。

最後に、この押井村誌は専門外の人間が四苦八苦しながら読み解いたものですので、誤り等ありましたらどうぞご指摘ください。

2022.11.19 佐藤 則子

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