押井の里は第三の実家のような場所〜豊橋市在住の門脇さんが自給家族になった理由

押井の里は、5月を過ぎると水を張った田んぼが日の光を受けてキラキラと輝き、青々とした稲が風にそよぎます。秋には実った稲穂を刈り取り、集落の人々は天塩にかけた新米を笑顔で口に運びます。

自分たちで食べる米を、自分たちで作る。押井の里が、縄文時代から3000年続いてきたのは、この営みが途切れずに先人から受け継がれてきたからだといえるでしょう。

農の営みと、食の自給を未来へつなぐため、押井の里で米作りを行う押井営農組合は、2020年に『自給家族』を募集し始めました。自給家族は、玄米1俵あたり30,000円を栽培経費として支払い、米を受け取ります。希望すれば、田植えや稲刈り体験、地元の祭りに参加することもできます。

今回、2020年から年間120キロを契約している自給家族、門脇恵美(かどわきえみ)さんにお話を伺うことができました。どんなきっかけで、どんな想いで自給家族を続けているのでしょうか。

誰が作ったものにお金を払うのか

門脇さんは、豊橋市出身。スーパーを経営する両親のもとで育ちました。栄養士を目指した勉強をするため、大学時代を京都で過ごし、その後アメリカへ留学。留学先で出会って結婚したパートナーの仕事の都合で、帰国後名古屋に暮らし、3人のお母さんとなります。名古屋、中国・蘇州での暮らしを経て、豊橋市に戻ってきました。

自分や家族が食べるものを作ることが好きで、例えばコンデンスミルク、アジの干物、味噌などを手作りしてきました。

「栄養士ということもあり、どうやって作るのか知りたいという興味が強いです。でも、手作りできるものだからといって、いつも作るというわけではありません。食卓に上る食べ物を全て手作りで賄うには、時間が足りません。だから、作れるということを知った上で、普段は買うことを選びます」

祖父母は、農家と漁師。そして両親はスーパーを経営。農家や漁師は食べるものを育てたり獲ったりし、スーパーではそれらを売る。両方の現場を見て育ちました。特に、スーパーでは幼い頃から父親の仕事を見て、仕入れたものをどうやって値付けしているかを見てきました。

「例えば、誰かがAを作る。自分でもAを作ることはできるかもしれない。けれど、スーパーでAを買うということは、自分の代わりにAを作ってくれている誰かの労働力にお金を払っているのだという意識が強くあります」 「お金を払って食べ物を買うとしたら、どんな基準で誰から買うのか。知っている人が作っている、信頼できる、安心できる。そんなものを選ぶことを、私はずっと大切にしてきました」

高知の風景とそっくりな豊田の田舎

門脇さんが自給家族になる前に、まず押井の里にある農家民宿ちんちゃん亭との出会いがありました。ちんちゃん亭が企画した『日本ミツバチのお話会』に参加するまで、豊田市の山村地域に足を運んだことがなかった門脇さん。驚いたことがあるといいます。

「豊橋からちんちゃん亭を目指して、東名高速道路を走り、勘八インターを降りると、そこから先の『片側に川、反対側に山』という景色が高知の山奥とそっくり!夫の実家がある高知の田舎に行くには時間がかかるけれど、豊田の田舎なら日帰りでも行けるということがわかって、すごくうれしくなりました」

『日本ミツバチのお話会』へ参加した際、ちんちゃん亭周辺の山に子どもたちが自然の中で自由に遊べる居場所『プレーパーク』を作ろうという企画が持ち上がりました。

「山の整備で木や竹を少し切ったり、時には焚き火をしたり、3人目と4人目の子どもを連れて、月1回くらい押井の里に通うようになりました」

自給家族になって視野が広がった

その後、自給家族の募集を知りました。

『お金を出して食べ物を買うなら、誰から買うか』を大切にする門脇さんにとって、『栽培している人の顔がわかる』『支払ったお金の使途がわかる』『栽培方法がわかる』自給家族の仕組みは、魅力的に映りました。

「自給家族が始まるにあたって、押井営農組合が玄米保冷庫を買うためのクラウドファンディングを実施したので支援して、自給家族に申し込みをしました。ひと家族ではお米を保存しておくための冷蔵庫を購入することは難しい。でもそれがクラファン支援者みんなで実現できるということがうれしかったです」

「お金を払って買うだけでなく、『つくる』ことに関与できることも良いなと感じました。田植えや稲刈りイベントへの参加、草刈りもできる。ただ訪れるだけの田舎ではなく、押井の里にもう一歩踏み込んだ関係が持てる気がしました」

自給家族として年間120kgのお米を契約購入している門脇さん。およそ3年が経ち、田植え、稲刈り、普賢院の美化作業、もみじまつりへの参加などを経験してきました。どんな変化があったのでしょう。

「ご飯を食べる時に、子どもと『体験に行ったよね〜』と会話します。押井の里の景色、地域の人の顔、田んぼの様が目に浮かんできます。台風が来れば、旭地区の降水量を確認したり、稲が倒れていないかなと心配したり、天気予報も気にしています」

「自給家族のイベントに出かけても、最初は誰が誰なのかわからなかった。でも何回か通っていると、誰が地元の人で、誰が通ってきている人なのかということがわかってきました。一緒に作業をすることで、私の名前も徐々に覚えてもらえるし、楽しいです」

「万が一、お米が大凶作だった場合には、支払ったお金に対して分配が少なくなるかもしれませんという契約をしていることで、生産者は、悪天候、肥料代や燃料費の高騰などいろんなリスクと向き合っていることに目が向きました。スーパーで買う時にも、そういう背景に思いを馳せるようになりました」

『自分ごと』になれば頑張れる

最初にちんちゃん亭を訪れてから7年の月日が経ち、最近では、豊橋市の自宅から押井の里までの道のりを、長男(24歳)もしくは次男(20歳)が運転してくれることもあるといいます。

「当初、息子たちは私がやりたいことに付き合って押井の里に来ていました。ある時から、ちんちゃん亭でやっているセカンドスクールという小学生の農山村体験と農家ホームステイのスタッフとして関わらせてもらえることになりました。役割をもらえて、頼ってもらえることで責任感も芽生えて、押井の里に来ることが『自分ごと』になりました」

この春、農業大学校を卒業して次男が就職したのは、お米を作る会社。

「夫の実家がある高知の田舎にも、田んぼが一面に広がっています。高知や、押井の里に連れて行ったことが、もしかしたらきっかけになったのかもしれませんね。米づくりの担い手がどんどん減っていく中で、作り手になることを選んでくれたことがうれしいです」

高齢化、人口減少が進み、地域の担い手が少なくなっている押井の里。それでも、「田舎には何もないから」と卑下するのではなく、「困っているから頑張る!」と立ち上がっている押井の人たちの姿を見て勇気が湧いてきたと門脇さん。

「日本中いろんなところで同じように困っている田舎は、『押井の里を真似したらいいのに』って思います。押井の里は、みんなが関われる仕組みを作って、元気を与えています。先日、豊川市でこれからの米づくりをどうしていくかに関するワークショップに出席しました。押井の事例を紹介して、『なんとかなるよ!』と伝えてきました」

取材を終えて

雨が降った時、自分のことしか考えていなければ「嫌だなぁ」と思う。でも自給家族の門脇さんは「雨が降れば、押井で稲が育つから良かった」と雨を喜ぶことができる。それは、今この瞬間に、自分の目の前の暮らし以外にも、世界が同時進行しているということに思いを馳せているということです。

実家のように出入りできる地域があるということは、世界と自分がつながっているという想像力を育むことにつながる。そんなことを感じました。

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