2021.04.09

生きるか死ぬかの時もあった〜50年間、田んぼ作業を請け負った後藤鋤雄(すきお)さん

毎日の食卓に欠かすことのできないごはん。
お米ができるまでに、どんな農業機械が使われているかご存知でしょうか?

水田を耕す耕運機、稲を植える田植え機、刈り入れ専用のバインダー、脱穀専用のハーベスター、収穫・脱穀・選別をするコンバイン、乾燥機、もみすり機。

牛耕や人力でやっていた時代を経て、たくさんの農業機械が活躍しています。

「機械にベタ惚れだったもんで、あかんわね」

そう話すのは、後藤鋤雄(すきお)さん。昭和12年生まれの83歳です。高い物だと1000万円を超える農業機械を何台も購入し、20代から70代の半ばまで約50年、稲作作業を請け負って生計を立ててきました。

「どうしてでもやらないかん。死んでもいいからやろうという気持ちにならにゃ、やれんかったでね」
体力の限界を迎えても、気力で歯を食いしばりながら農作業をやってきました。
押井町にとっては、「この人がいたから押井の農が守られている」という存在です。

「他の人にはこんな苦労はさせられない」誰にも手伝いを頼むことなく、農業機械をパートナーに2人3脚で歩んできたました。

知れば、お米をじっくり噛み締めたくなる。そんな話を伺ってきました。

とにかく食べていくために

大家族の3男として生まれた鋤雄さん。子どもの頃は、お金がなくて肥料が買えず、家族が食べる米を作るのがやっとという暮らしをしてきました。

「農家だけでやってきたから、貧乏の貧乏でね。学校に行くにも靴がなくて親に作ってもらった草履を履いてったけど、それも破れてはだしで帰ってくるような生活だった」

中学を卒業してしばらくすると、押井町の自宅から3キロほど離れた土木建築の会社、株式会社榊建設に就職します。

給料をもらって買ったのが、当時発売されたばかりの耕運機でした。

「どっちみち働きながら百姓もやるんだからということで買いました。でも自宅で使っているだけだと支払いが終わらないからね。他の家の田んぼも請け負ってやり始めたのが最初だったね」

耕運機でやれるのは田を耕す春の作業だけ。旭地区の全域を回ってももらえる仕事には限りがある。

「バインダー買ってね。秋作業もやるようにした。旭を刈ったら豊田市の街の辺り、そこが終わったら名古屋、次に小牧、一宮のほうは遅い時期に行ったね」

どうしてそんなに広範囲にわたって請負作業をやることになったのか聞いてみると、

「自分で訪ねていって、田んぼを見て“稲刈りやらせてください”って頼んだんだよね。やらせてもらうこともあれば、“うちは結構ですが知り合いを紹介してあげるわ”ということもあった。そんな訳で方々へ行くようになった」

それは飛び込み営業をかけていったということ。

「すごいですね!」と言う私に

「すごいというよりも、やっぱり食っていかなきゃいかん以上やるしかない。食べるというのは大変なことだね」と鋤雄さんは答えました。

苦労に苦労を重ねてきた

農業機械を操作して、農作業を請け負う。その営みの中には想像を絶する大変さがありました。

「耕運機の時が一番えらかったね。死ぬか生きるかくらいで力を出した。あー、こりゃえらいでやめだなんて言ったら、いつか下敷きになっちゃっとるでね」

現在、ほとんどの田んぼは圃場整備(=ほじょうせいび:田畑の区画整理と用排水路、農道等の整備を行うこと)がされているため、田んぼに入っていく道路があるのが普通。田んぼのすぐ近くまで機械を持っていくことができます。しかし、鋤雄さんが耕運機を使っていた当時は、整備前だったため、畦道の上を押して歩いて行くしかありませんでした。

その重さを聞いてびっくり。なんと最大で500キロの耕運機を押していたそうです。

「車輪が回っていても急なところだと空滑りしちゃって上がっていかないじゃん。耕運機の力を利用して、押していかないといかんわけ。ただバランスが悪いもんでね。簡単にいくもんじゃなかったね」

「踏ん張ってやらないと、機械が動かないからダメだと思っとっちゃいかん。それに勝るように操作しなきゃ。機械だけで動くんじゃなくて、人間が操作するんだからね」

家計を支えるため、もっと別の作業もできるようにならなければと、田植え機を買い、コンバインも買い、乾燥・籾摺り・選別のできるライスセンターを自宅に作りました。使っていれば壊れることもある。修理費がかかったり、直らなければ新調したり。稼いだお金はほとんど機械の支払いに充てているようなものでした。

「コンバインが一番高かったかな。1300万ぐらいしとるでね。買って、ローンを払いながら使う。その繰り返し。だから本当、お金が残るっちゅうことないね」

米の収穫後の乾燥作業をする時には寝る時間が取れないこともありました。

「そりゃまぁ仕方がない。一人でやっとるもんだから。機械が動いている以上、夜中でもたまに見てやらんといかん」

農作業で力を出していたということは、さぞたくさん食べて体力をつけていたのだろう、稲作のプロだからこその美味しいご飯の食べ方も知っているのではないか。すると意外すぎる答えが返ってきました。

「ご飯は普通の人の半分くらいで食っとる。動いたからって、余分に食えるもんじゃない」

「仕事がたくさんある時には、昼飯なんか食わずにやって晩に食おうと思っていると帰って寝ちゃうだね。それでも腹が減るなんて思ったことない。あと何軒分やらにゃいかんだとか、そんなことばっかり考えとった」

誰かと一緒にやれば少しは苦労が少なかったのではないかと聞いてみると

「僕の場合は全く無理が多いもんだから、人を使って無理なことは頼める訳なかったね。人にそんな大変なことはやってもらいたくないという想いがあった」

いつも相手を思いやる

時々、「へへへ」と笑いながら、淡々と語る鋤雄さん。大変なことばかりではなかったのではないか、きっと楽しいこともあったのではないか。「やっていて良かったと思うことは何でしたか」と質問してみました。

「やっとこさ食えたっていうことくらいじゃない」と一言。

食べるためだけに働いて、そんなにたくさんの苦労ができるものなのか。

なぜ、死ぬか生きるかの瀬戸際にも立つような農作業の日々を走り抜けることができたのか、不思議に思いました。

現在、鋤雄さんに代わり押井町の田んぼの作業を請け負っているのは、押井営農組合。彼らへのメッセージのなかに、鋤雄さんがずっと大切にしてきたことが出てきました。

「時期的な作業だからね。大変だと思う。どちらにしても引き受けた以上は、全責任を持たなきゃいけない。自分の田んぼをやるような気持ちでやる。自分ならこういうことをしてもらいたいということを、やってあげないといけない」

「長く続けるためには、そういうことが一番の基本じゃないかなぁ」

50年余り、苦労を物ともせずにやれてきた理由は、もらった仕事に真摯に向き合い、常に相手の立場になってやってきたからだと腑に落ちました。

鋤雄さんがいたから押井営農組合ができた

鋤雄さんは73歳の時、「以後、農業機械の更新はしない」と宣言。田んぼの世話をお願いしていた押井町の住民は、それぞれで農協に農作業を依頼するのか、それとも農地を個人任せにせず、地域で守る「押井営農組合」を組織するのかの選択を迫られました。

住民が迷わず選んだのは後者でした。

「それまで鋤雄さんが押井の田んぼをやってきてくれたおかげで、各戸で農業機械を持つということがなかった。皆がそれぞれに自分のところで機械を持ってやっていたとしたら、地域で農地を守ろうという流れにはなっていなかったと思います」と一般社団法人押井営農組合の代表理事鈴木辰吉さん。

また、鋤雄さんのライスセンターでは個別調整といって自分の田んぼで育てたお米を他の田の米と混ぜることなく乾燥させてもらうことができました。そのスタイルを引き継ぎ、「安全でおいしい米を作り続けたい。自分で作ったお米を食べたい」という強い想いがあったことも営農組合ができた大きな理由になったそうです。

私たちの思い

取材の後、自宅に併設されているライスセンター(現在は使用していない)を見学させてもらいました。それまでの無理が影響したのか、75歳の時に腰を痛めて病床に伏せ、もはや再起不能かと噂されていた鋤雄さん。82歳の今、背中は真っ直ぐに伸び、インタビューにも迷うことなく答えてくださる様子から、そんなことがあったのかと信じられないほどでした。

必要以上に食べるのではなく、生きていけるだけのご飯を食べるために働く。
見返りを求めるのではなく、目の前にいる相手が何を望んでいるか、自分のことのように考えることを大切にする。

当たり前のことなのに、豊かすぎて忘れがちなこと。鋤雄さんの生き様が教えてくれることを、次にご飯を食べるときに、思い出してみませんか。

ライタープロフィール

木浦幸加

木浦 幸加

1979年生まれ。2014年からパートナーの実家がある豊田市の田舎・旭地区に暮らしています。本が好き。文章がいつも私を勇気づけてくれています。まるでページをめくるように相手を取材し、見つけた唯一無二の光を文字にできるようにすることが目標。おいでん・さんそんセンタースタッフ/とよたでつながるローカルメディア「縁側」編集長/最近の関心分野は、薪割り、山登り、ジェンダー平等、IPAビール

「自給家族」について

日本中の山村集落を、消滅の危機から救う為のモデルを創る。キーワードは「自給」と「家族」です。食と農のあり方や、持続可能な社会に関心をお持ちの皆さんが、「自給家族」として支え合う仲間に加わっていただくことで、それは実現できます。

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