2020.08.12

押井の里の歴史資源

紅葉に染まる普賢院

縄文時代から続く押井の里は、歴史資源の宝庫。秘匿されてきたわけではありませんが、あまり世に知られてはいません。だからこそ神秘的ですらあります。

一度、ゆっくり、一緒に歩いてみませんか。

(各歴史資源の所在地については、こちらのPDF資料もご参照ください)

※調査・文・写真/松井文信・鈴木辰吉

神明神社(しんめいじんじゃ)

神明神社(しんめいじんじゃ)

神明神社(しんめいじんじゃ)

所在地は、宮之前2番地。

元来押手村の氏神社でした。お堂を建立して毘沙門天を安置し、村氏神として崇めたといわれています。明治4年神明神社と改称しました。祭神は、天照大御神、伊佐波登美命、事解男命、早玉男命です。

毎年10月13日が例大祭。曜日に関わらず催行されますが、村人、近親者100名余が必ず参拝します。例大祭のほか元旦祭、御八朔祭、新嘗祭が催行されています。

※出典:旭町誌、本編(P174)・資料編(P588)

毘沙門天

毘沙門天

毘沙門天

所在地は、宮之前2番地。

普賢院の慧澄という住僧が彫刻したといわれています。神明神社に合祀され、9月の御八朔祭に合わせて開帳され、お念仏が唱えられています。

※出典:旭町誌、本編(P174)付表

御鍬神社(おくわじんじゃ)

御鍬神社(おくわじんじゃ)

御鍬神社(おくわじんじゃ)

所在地は、穴沢20番地1。

旧二井寺村の氏神社でした。普賢院の鎮守として境内に鎮座していました。明治31年10月に現在地に移転しました。祭神は、伊佐波登美命です。

毎年4月の第2日曜日が例大祭。文字通り豊作を祈念する農業の神様。押井の里で桑の栽培をするNPO法人マルベリークラブ中部の代表者らも毎年参拝されます。

※出典:旭町誌、本編(P174)付表

遥拝所

遥拝所

遥拝所

所在地は、宮之前100番地。

鳥居から北北西に神明神社、南南東に御鍬神社を拝むことができます。遥拝所は、地図上で両神社を結んだ線上にあります。山上の社まで赴くことが困難なことから、二つの神社を同時に拝めるよう設けられたのでしょうか。

田んぼの中にポツンとある遥拝所の鳥居は、押井の里の神秘的な景観を形づくっています。

権現社(十二社)

権現社(十二社)

権現社(十二社)

所在地は、宮之前47番地。

熊野権現で祭神は、家津美御子、速玉、牟須美です。毎年10月13日、神明神社と同日に祭られます。権現社には、社に至る急峻な石段が設けられています。大層な難工事であったことが想像できます。

敷地内の石の上に祠があります。これは津島神社で建速須佐之男命が祀られています。

※出典:旭町誌、本編(P174)付表

秋葉神社

秋葉神社

秋葉神社

所在地は、神之辻3番地。

火伏の神、火之迦具士神を祀っています。敷地内には、二十三夜神祭塔、養蚕大祖神の碑もあります。

※出典:旭町誌、資料編(P592)

稲荷社

稲荷社

稲荷社

所在地は、宮之前2番地。

神明神社敷地内に祀られています。五穀をつかさどる倉稲魂を祀っています。

かつては、現在の押井公会堂が建設されるまで村人の会合に利用されていた「会所」(松葉地内)の敷地内に祀られていましたが、お参りしやすい現在地に移転され、毎年3月の第2日曜日に祭礼が行われています。

※出典:旭町誌、資料編(P592)

風神社

風神社

風神社

所在地は、山中38番地3。

押井の里の景観スポットともいえる標高470mの高台に祀られています。

大風から村人や農作物を守っていただくよう、毎年210日に近い9月の第1日曜日に祭礼が行われています。

※出典:旭町誌、本編(P174)付表

龍雲山二井寺普賢院(ふげんいん)

龍雲山二井寺普賢院(ふげんいん)

龍雲山二井寺普賢院(ふげんいん)

所在地は、寺之入22番地1。

江戸時代中頃までは、二井寺と呼ばれていた天台宗の古剣で、寺伝によれば白鳳時代の創建と伝えられています。戦国時代・武田氏の三河攻めで焼かれ廃寺となりましたが、寛永年間、足助則定の旗本鈴木正三和尚により再興されました。

現在は、無人寺となっていますが、毎年11月の最終土曜日に、押井の里ゆかりのNPO法人や森林ボランティアの力も借りて、境内整備ともみじまつりが行われています。

※出典:旭町誌、本編(P78)・資料編(P589)

おへんび様

おへんび様

おへんび様

所在地は、東之坂3番地3周辺。

磨崖仏周辺は、「おへんびさん」といわれています。このおへんびさんの正体は、30センチメートル位の白い蛇であるといいます。養蚕をしている農家では、蚕や繭を鼠が出て喰うので、おへんびさんに頼むと鼠が出ないといわれています。そしてお礼には卵や繭を供えるといわれています。

おへんびさんは、毎年9月の御八朔祭に合わせて村人でお参りをします。

※出典:旭町誌、資料編(P938)

磨崖仏(市指定有形文化財)

磨崖仏(市指定有形文化財)

磨崖仏(市指定有形文化財)

所在地は、東之坂3番地3周辺。

県下でも数少ない自然の岩壁に彫り込まれた仏像。左側は地蔵菩薩。右側は倶利伽羅女明王といって不動様をあらわしています。竜が剣に巻きついて飲み込もうとしている様子が見られます。

文久三年(1863年)信州高遠の石工「小池岩吉重房」の作とされます。

※出典:旭町誌、資料編(P649)

二井寺城跡

二井寺城跡

二井寺城跡

所在地は、松下31番地1周辺。

天台宗普賢院を望む標高470mにあり、本丸、二の丸、三の丸が縦に並ぶ連格式の山城で空堀が明確に残っています。普賢院同様に、武田軍の三河攻めにより攻略されたとされます。山城マニアや研究者が時々訪れますが、詳細は明らかになっておらず謎が興味をそそります。

※出典:旭町誌・資料編(P165)、豊田市遺跡分布調査報告書・2013.3.29(P142)

押手城跡

押手城跡

押手城跡

所在地は、梅ケ久保12番地1周辺。

標高420mの丘陵端に設けられた山城で、浅野久保遺跡のあった集落を見下ろす位置にあります。築城年、築城者不明ながら堀切など明確な山城の痕跡を残しています。平成26年度に、散策路と標柱が設けられています。

※出典:旭町誌・資料編(P166)、豊田市遺跡分布調査報告書・2013.3.29(P142)

弓かけ松

弓かけ松

弓かけ松

所在地は、西垣内20番地。

戦国時代の屈強な武将が、その松に弓を架けて休憩したと伝えられ、赤ちゃんが夜泣きをしたり、あまりよく泣く時は、この松に願いをかけるとよいといわれています。治るとお礼に、男の子は「弓」、女の子は「手まりかボール」をお供えしたので、つい最近まで弓やまりがこの松で見られたといいます。「弓かけ松」は、あさひの民話として語り継がれています。

近年まであった松は枯れ、現在は杉林となっていますが、標柱が建てられています。

※出典:旭町誌・資料編(P175)

経塚

経塚

経塚

所在地は、東之坂26番地1。

馬千場といわれるところに石碑があります。瓦に文字が書かれ、埋めてありました。詳細は不明です。

お滝さん

お滝さん

お滝さん

所在地は、イフモリ70番地。

滝の水で目を洗うと目の病気が治ったといわれています。

押井公会堂下の炭釜の向いあたりの、押井の川と二井寺の川との合流点付近に祀られています。近寄りにくい場所にあり、今ではお参りする人も少ないようです。

弥三郎の墓(やさぶろうのはか)

弥三郎の墓(やさぶろうのはか)

弥三郎の墓(やさぶろうのはか)

所在地は、寺之入21番地。

土人、鳥海彌三郎の墓とされ、天台宗普賢院の境内に他の古墓と共に祀られています。元は加塩町に近い東垣内地内にありましたが、立ち寄り難い場所にあったことから現在地に移転されたとされます。

弥三郎は地域一の猛者で、その武勇伝はあさひの民話として語り継がれています。

宮之前遺跡

宮之前遺跡

宮之前遺跡

所在地は、宮之前54番地1。

立地は、山麓の傾斜地。時期は縄文時代。遺跡の状況は宅地。出土遺物は石斧です。

集落内で最も開けた農地が広がる一帯にあり、押井の里が3000年の歴史を持つとされる根拠になる遺跡です。

※出典:旭町誌・資料編(P84)、豊田市遺跡分布調査報告書・2013.3.29(P142)

浅之久保遺跡

浅之久保遺跡

浅之久保遺跡

所在地は、浅之久保21番地。

立地は山麓の傾斜地。時期は縄文晩期・奈良・平安・鎌倉時代。遺跡の状況は畑。出土遺物は土器、磨製石斧、石鏃、石匕、土師器、灰釉陶器、山茶碗。原始時代の遺跡で昭和8年7月、畑で石鏃と石匕を地元の後藤政一氏が発見したとされます。

※出典:旭町誌・資料編(P85)、豊田市遺跡分布調査報告書・2013.3.29(P142)

鬼ヶ子遺跡

鬼ヶ子遺跡

鬼ヶ子遺跡

所在地は、鬼ヶ子5番地1。

立地は山麓の傾斜地。時期は縄文晩期・奈良・鎌倉時代。遺跡の状況は山林、畑。出土遺物は土器、須恵器、山茶碗です。

周辺に広い農地がある宮之前遺跡、浅野久保遺跡に比べ、森林内に僅か1反(1000平方メートル)、隠れるようにしてある南傾斜の農地に遺跡はあります。ここにも3000年の人の歴史があることに不思議な感慨を覚えます。

※出典:旭町誌・資料編(P85)、豊田市遺跡分布調査報告書・2013.3.29(P142)

二井寺古墓

二井寺古墓

二井寺古墓

所在地は、寺之入21番地。

宝篋印塔が普賢院境内に弥三郎の墓と共に祀られています。詳細は分かっていません。

※出典:旭町誌・資料編(P174)、豊田市遺跡分布調査報告書・2013.3.29(P142)

松下古墓

松下古墓

松下古墓

所在地は、松下27番地。

宝篋印塔。二井寺城址本丸の中央に祀られています。城址の中央にありますから、戦国武将の墓とも考えられますが、詳細は不明です。

※出典:旭町誌・資料編(P174)、豊田市遺跡分布調査報告書・2013.3.29(P142)

宮之前古墓

宮之前古墳

宮之前古墳

所在地は、宮之前43番地6。

五輪塔。宮之前遺跡にありますが詳細は不明です。

※出典:旭町誌・資料編(P174)、豊田市遺跡分布調査報告書・2013.3.29(P142)

はくささん

はくささん

はくささん

所在地は、松葉7番地1。

戦没者慰霊碑などと並んで祀られています。石仏の中に右手を頬にあて、首を傾けておられる観音さまがあります。これは如意輪観音で、村の人達は昔から「はくささん」と呼び、子供の虫歯の痛む時は、名前と年令を書いて拝むと、治るといわれています。

※出典:旭町誌・資料編(P938)

馬千場

馬千場

馬千場

所在地は、東之坂26番地1周辺。

武田信玄が馬術の訓練をしたと言い伝えられています。詳細は不明です。

松葉の宝篋印塔

松葉の宝篋印塔

松葉の宝篋印塔

所在地は、松葉48番地1。

詳細は不明です。

※出典:旭町誌・資料編(P174)

道祖神

道祖神

道祖神

所在地は、永田25番地5。

道を守る神様で、道中安全、村や町に邪気や悪霊が入るのを防ぎます。また、農耕社会では害虫から作物を守り、豊作を願ったといわれています。

戦没者慰霊碑

戦没者慰霊碑

戦没者慰霊碑

所在地は、松葉7番地1周辺。

日清・日露戦争、第1次・第2次世界大戦の戦没者の英霊が祀られています。毎年4月の第2日曜日、御鍬陣社の祭礼に合わせて慰霊祭が行われます。

土地改良碑

土地改良碑

土地改良碑

所在地は、松葉26番地1。

昭和53年から61年にかけて取り組まれた県営ほ場整備事業完了を記念して、昭和62年に建てられました。公会堂広場の一角にあります。

見当流棒の手(市指定無形民俗文化財)

見当流棒の手(市指定無形民俗文化財)

見当流棒の手(市指定無形民俗文化財)

旭地区には、江戸の終わりから明治の中頃にわたって「鎌田流」「見当流」「起倒流」「藤牧検藤流」の4流派が伝承されました。「見当流」は明治13年(1880)近岡村(足助)から押井に伝承され、明治中期から押井から牛地、大正4年(1915)に槙本と日下部に伝承されました。

旭地区では最盛期には11組が活動しましたが、現在では「押井の見当流」「大坪の起倒流」「杉本の藤牧検藤流」が伝承されています。現在は豊田市の文化財になっています。

※出典:旭町誌・本編(P469)

著者プロフィール

鈴木 辰吉

鈴木 辰吉

押井営農組合、代表理事。1953年1月、現住所地に農家の長男として生まれる。豊田市役所に就職し、産業部長、総合企画部長を歴任、60歳で定年退職。 その後、市の機関として都市と山村をつなぐ中間支援機関「おいでん・さんそんセンター」設立、センター長に就任。そして2019年、おいでん・さんそんセンターで得た6年間の知見のすべてを注ぎ「源流米ミネアサヒCSAプロジェクト」を立ち上げる。

「自給家族」について

日本中の山村集落を、消滅の危機から救う為のモデルを創る。キーワードは「自給」と「家族」です。食と農のあり方や、持続可能な社会に関心をお持ちの皆さんが、「自給家族」として支え合う仲間に加わっていただくことで、それは実現できます。

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